用田古墳群

古墳時代中期の古墳4基が確認された。とくに3号墳からは把手付碗が出土しており、県内初の出土事例である。

畑岡遺跡

弥生時代後期の高地性集落と考えられ、竪穴住居跡、段状遺構等が確認されている。また、主体部は削平を受けていたが、古墳も見つかっており、周溝から須恵器がまとまって出土した。

臼田古墳

平成12年(2000)に玖珂町教育委員会が主体として、発掘調査が行われ、古墳時代後期(6世紀後半)の横穴式石室が確認され、副葬品が出土した。

横穴式石室は玄室部と羨道部の境に袖石を有する両袖式で、検出した石室の全長は5.9mで、玄室長は3.9~4.14m、幅2.14~2.3mで、羨道長は推定で3m以上の規模である。

遺物は、土師器、須恵器、鉄製品(刀子・鏃・鉋・釘)が出土した。

筏山古墳・筏山遺跡

国道工事の際に、人骨を伴う古墳の石室が露出したことが契機となり、昭和30年1月12日から3日間の調査が小野忠熈氏らによってなされた。調査では弥生時代の竪穴、保存状態の良い人骨を古墳の竪穴式石室のほか、平安時代の経塚も見つかっている。

大元古墳

横穴式石室の玄室の一部が確認された。石室とその周辺から土師器、須恵器が見つかっている。

清水遺跡

2重(一部3重)の環濠が囲繞する、弥生時代後期の高地性集落であることが確認された。環濠の内部には、竪穴住居や段状遺構が多く見つかっている。また、遺物としては40点以上の鉄製品の出土が注目される。そして、集落の廃絶後の古墳時代後期の古墳が見つかっており、横穴式石室も確認されている。

北方古墳

昭和34年(1959)に周東町教育委員会が主体として、小野忠熈氏の指導のもと、発掘調査が行われ、古墳時代後期(6世紀後半)の横穴式石室が確認され、副葬品が出土した。

横穴式石室は玄室部と羨道部の境に袖石を有する両袖式で、石室の全長は7.5mで、玄室長は4.2m、幅1.8~2.0mで、羨道長は3.25m、幅1.1mの規模である。

遺物は、須恵器、鉄製品(刀・鏃・馬具)、装身具(耳環・ガラス製勾玉・ガラス製小玉)

が出土した。

へころがき古墳

土砂採取の際に発見され、幅2m前後、奥行9.3mの規模の石室であったと記述されている。

石丸古墳(猿ヶ谷古墳)

明治26年(1893)に水落簡、長谷川友之助の両名によって、発見され発掘がなされた。石室とみられる箇所から須恵器や装飾品、武具、馬具等が出土している。