吉川家の文化財

大肩衝茶入 付 千利休書状
大肩衝茶入の法量は口径4.0㎝、高さ8.8㎝、底径5.7㎝である。成形はロクロ成形であり、底部の切り離し形態は、板起こしである。形状は、口縁部のひねり返しがやや厚く、頸部は直線的だが、なだらかに肩を作る。胴部の側面は肩から胴部中央にかけてわずかに張り、裾に向ってすぼまっている。底部は平底で無釉である…
大肩衝茶入 付 千利休書状
吉川家肖像画
吉川元春とその子元長、広家、松寿丸の肖像画である。室町時代末期から江戸時代初期の間に描かれた肖像画であり、絵師および流派がそれぞれ異なるものの、作画技法が随所に看取出来、当時の画風を知る資料としても重要である。 そして、像主が吉川元春、元長、広家、松寿丸と中世から近世への移行期における吉川家当…
吉川家肖像画
岩国藩主吉川家墓所
墓所は、横山の通称寺谷地区に所在し、岩国に入府した岩国吉川家初代広家から、6代経永を除く12代経幹までの当主及びその一族の墓が51基あり、指定面積は9615㎡である。 墓所が形成されるのは寛永2年(1625)広家が没した年からであるが、墓所の中心を占める寺谷口御塔場は、2代広正が没した翌年寛文…
岩国藩主吉川家墓所
旧吉川邸厩門
明治25年(1892)、旧岩国藩主吉川経健が建設した吉川邸の長屋門である。桁行30mと長大で、西を正面とし、石積基壇上に建つ。南寄りに門口を構え、外壁漆喰とし、要所に横連子窓を設けている。屋根は寄棟造、桟瓦葺きで、小屋組は一部に変形トラスを用いている。伝統的な形式を保ちながら洋風のデザインを取り入れ…
旧吉川邸厩門
水西書院
旧岩国藩主吉川家の新邸が完成するまでの間利用していた仮住居であり、井上馨や皇室関係者を迎えたこともある由緒ある建物である。 明治19年に建設され、明治21年吉川邸完成後は吉川家の接客所としての役割を担った。 昭和25年頃に岩国市の所有となり、現在は貸室や集会所などとして活用されている。 …
水西書院
吉川家文書
吉川家文書は、旧岩国藩主吉川家に所蔵されている古文書類の総称で、正治2年(1200)正月25日鎌倉将軍(頼家)家下文案(播磨国福井庄地頭職補任状)を上限として、江戸時代貞享年間(1684~1688)に至る総数2393点を収めている。 吉川家は、もと駿河国入江荘吉河の住人で、鎌倉時代に播磨国福井…
吉川家文書
元亨釈書 吉川経基筆十五冊
元亨釈書は、わが国に仏教が伝来して以来鎌倉時代末元亨年間(1321~1324)に至るまでの高僧の事蹟、仏教の史実を記し、かつ概評を下したもので東福寺の僧虎関師錬の著。後醍醐天皇の元亨2年(1322)に完成したので元亨釈書という。 本書は、吉川経基が至徳元年(1384)の重刊本から転写したものを…
元亨釈書 吉川経基筆十五冊
太平記 吉川元春筆四十冊 付 太平記目録
太平記は南北朝時代の争乱のいきさつを記した軍記物語である。文章は漢文調を交えて豪壮絢爛、文学作品として法師などにより講釈もせられたが、史書としても相当の価値を有し、また兵書として戦国時代の武人の間でひろく愛読されたものである。 本書は世にいう吉川太平記と呼ばれるものである。太平記が現在流布され…
太平記 吉川元春筆四十冊 付 太平記目録
紙本墨書細字法華経八巻 付 仁和寺任助法親王御譲状一通
法華経8巻を細字で1巻に書写したもの。白麻紙に金泥で罫線を引き、各行17字ずつ2段に墨書してある。本文の筆者は弘法大師と伝えられているが、確証があるわけではなく、平安初期の写経師の筆によるものと推測される。中国の唐代(618~907)の細字経は御物の他にも見受けられるが、平安初期に作成された細字経は…
紙本墨書細字法華経八巻 付 仁和寺任助法親王御譲状一通
紙本墨書吾妻鏡四十七冊並びに年譜一冊
吾妻鏡は、治承4年(1180)から文治3年(1266)に至る87年間の鎌倉幕府の記録で、曲筆の個所もないではないが、当時の事情がある程度詳細に記述されており、鎌倉時代研究の根本史料である。 袋綴の冊子本で、本文を47冊に収め、これに年譜1冊を加えて48冊としている。本文の末尾に大永2年(152…
紙本墨書吾妻鏡四十七冊並びに年譜一冊
山道草花鶴亀文繍箔胴服
安土桃山時代中期の天正15年(1587)九州征伐出陣の功により豊臣秀吉から吉川広家が拝領したものと伝えられている。 身幅が広く、広袖であるが振りはない。垂領で後は背割になっている。山道文を全面にして雪持芦、同笹、松樹、桐紋、鶴亀文の刺繍がなされ、さらに金摺箔が施されている。 その意匠技法…
山道草花鶴亀文繍箔胴服
吉香神社本殿・拝殿及び弊殿・神門・鳥居 付 棟札
吉香神社は、旧藩主吉川氏歴代を祀る神社で、元は横山の白山神社境内にあったものを明治18年(1885)に現在地である御土居跡に遷座している。指定されている建物は、享保13年(1728)に造営された神門、拝殿及び弊殿、本殿、鳥居の三棟、一基である。 神門は、左右に脇門付袖塀をもつ小型の四脚門で、冠…
吉香神社本殿・拝殿及び弊殿・神門・鳥居 付 棟札
紙本墨画淡彩湖亭春望図
図の上部には「湖亭春望」と題された七言律詩が書かれており、「天與老雪」の名と「清啓」の朱文方印があるので、賛者は天與清啓(てんよせいけい)であることがわかる。関防印は「暁遠夜鶴」である。 湖亭春望図には印章、落款ともないが、雪舟筆の伝えがあり、天與清啓の賛がある。 賛を賦した天與清啓は、…
紙本墨画淡彩湖亭春望図
軍配團扇
社伝によれば、軍配團扇は明治4年(1871)の廃藩置県に際し、旧藩主吉川経健が甲と共に三島神社に寄進したと伝えられている。 江戸時代に製作されたもので、軍配團扇は合戦の際に、軍兵を指揮統率するために用いられたもので、大将の携行する兵具である。 この軍配團扇は羽及び留め金、被せ金などに吉川家の…
軍配團扇
吉川家文書(明治追加)32巻 付 明治追加目録1刷
紙本墨書で巻子装となっており、31巻と番外1巻の中に504点の文書が収録されている。31巻は編纂する過程で分類毎に整理されており、明治追加目録によると第一~第三が「勅諚及び叡旨」、第四が「幕府告達」、第五が「忠正忠愛二公(毛利敬親、毛利元徳)手書」、第六、第七が「長徳清(長府、徳山、清末)三公手翰」…
吉川家文書(明治追加)32巻 付 明治追加目録1刷
旧吉川家岩国事務所
事務所、倉庫、便所の3棟からなる。事務所は、木造、寄棟造、2階建、桟瓦葺、床面積234.28㎡。倉庫は、木造、切妻造、2階建、桟瓦葺、床面積79.52㎡。便所は、木造、切妻造、平屋建、桟瓦葺、床面積14.30㎡(渡り廊下を含める)。 この建物は、昭和6年(1931)、吉川家岩国事務所として建設…
旧吉川家岩国事務所
桐・九曜紋蒔絵挾箱 付 目録
大きさは横幅58.1㎝、奥行39.8㎝、高さは箱38.8㎝、蓋7.8㎝である。 挾箱は外出に際し、具足や着替用の衣服などを中に入れ、棒を通して従者にかつがせた箱で、江戸時代には定紋をつけて武家の格式を示した。 造りは印籠造りで、身に比べて蓋が浅く、垂直、水平線の組み合わせにより構成されて…
桐・九曜紋蒔絵挾箱 付 目録
仙鳥館
仙鳥館(仙鳥御屋形)は、元禄11年(1698)、岩国藩5代藩主吉川広逵(きっかわひろみち)の住居として建設された。同年11月20日、2歳の広逵は母と共に完成した屋形に移居している。 以後、主として、藩主吉川家の子女を養育するとともに、その母親(夫人)が共に生活する建物として利用された。明和5年…
仙鳥館
昌明館付属屋及び門
昌明館は寛政5年(1793)に七代藩主吉川経倫(きっかわつねとも)の隠居所として建造され、経倫の死後は八代藩主経忠(つねただ)の夫人喬松院(きょうしょういん 柏原藩主織田信憑の次女悌 てい)が居住した。 明治に入ると一時、岩国県庁が置かれた。その後、吉川家の家職を司る用達所が設けられ、近代吉川…
昌明館付属屋及び門
色々威腹巻
胴の高さ27.8㎝、胴廻り91.5㎝、草摺(くさずり=胴の下にさがっていて、足の太股を守る部分)の長さ24.5㎝の大きさである。小札(こざね 甲冑の部位をつくる短冊状の板)は黒漆塗の革小札と鉄小札を一枚ずつ交互に交えて、赤、白、紫の三色を用いて段々に威している。威す(おどす)とは小札の穴に糸を通すこ…
色々威腹巻
太刀 銘 為次(狐ヶ崎)付 黒漆太刀拵
身の長さ78.5cm、反り3.4cmの太刀である。刀身の地肌は小板目肌で、刃文は小乱に足・葉入りの一見、古備前風の太刀であるが、鎌倉初期の備中青江の作である。とくに、この太刀が国宝に指定された理由は、刀身が少しも磨滅せず、打ちおろしのように平肉豊かで、しかも、当初の革着せ黒漆太刀拵が付属していること…
太刀 銘 為次(狐ヶ崎)付 黒漆太刀拵

大肩衝茶入 付 千利休書状

指定区分/種別
工芸品(市指定文化財)
所有者等
公益財団法人 吉川報效会
大肩衝茶入の法量は口径4.0㎝、高さ8.8㎝、底径5.7㎝である。成形はロクロ成形であり、底部の切り離し形態は、板起こしである。形状は、口縁部のひねり返しがやや厚く、頸部は直線的だが、なだらかに肩を作る。胴部の側面は肩から胴部中央にかけてわずかに張り、裾に向ってすぼまっている。底部は平底で無釉である…
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吉川家肖像画

指定区分/種別
絵画(市指定文化財)
所有者等
公益財団法人 吉川報效会
吉川元春とその子元長、広家、松寿丸の肖像画である。室町時代末期から江戸時代初期の間に描かれた肖像画であり、絵師および流派がそれぞれ異なるものの、作画技法が随所に看取出来、当時の画風を知る資料としても重要である。 そして、像主が吉川元春、元長、広家、松寿丸と中世から近世への移行期における吉川家当…
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岩国藩主吉川家墓所

指定区分/種別
史跡(県指定文化財)
所有者等
岩国市
墓所は、横山の通称寺谷地区に所在し、岩国に入府した岩国吉川家初代広家から、6代経永を除く12代経幹までの当主及びその一族の墓が51基あり、指定面積は9615㎡である。 墓所が形成されるのは寛永2年(1625)広家が没した年からであるが、墓所の中心を占める寺谷口御塔場は、2代広正が没した翌年寛文…
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旧吉川邸厩門

指定区分/種別
国登録文化財
所有者等
岩国市
明治25年(1892)、旧岩国藩主吉川経健が建設した吉川邸の長屋門である。桁行30mと長大で、西を正面とし、石積基壇上に建つ。南寄りに門口を構え、外壁漆喰とし、要所に横連子窓を設けている。屋根は寄棟造、桟瓦葺きで、小屋組は一部に変形トラスを用いている。伝統的な形式を保ちながら洋風のデザインを取り入れ…
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水西書院

指定区分/種別
国登録文化財
所有者等
岩国市
旧岩国藩主吉川家の新邸が完成するまでの間利用していた仮住居であり、井上馨や皇室関係者を迎えたこともある由緒ある建物である。 明治19年に建設され、明治21年吉川邸完成後は吉川家の接客所としての役割を担った。 昭和25年頃に岩国市の所有となり、現在は貸室や集会所などとして活用されている。 …
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吉川家文書

指定区分/種別
書跡 (国指定重要文化財)
所有者等
公益財団法人 吉川報效会
吉川家文書は、旧岩国藩主吉川家に所蔵されている古文書類の総称で、正治2年(1200)正月25日鎌倉将軍(頼家)家下文案(播磨国福井庄地頭職補任状)を上限として、江戸時代貞享年間(1684~1688)に至る総数2393点を収めている。 吉川家は、もと駿河国入江荘吉河の住人で、鎌倉時代に播磨国福井…
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元亨釈書 吉川経基筆十五冊

指定区分/種別
書跡(国指定重要文化財)
所有者等
公益財団法人 吉川報效会
元亨釈書は、わが国に仏教が伝来して以来鎌倉時代末元亨年間(1321~1324)に至るまでの高僧の事蹟、仏教の史実を記し、かつ概評を下したもので東福寺の僧虎関師錬の著。後醍醐天皇の元亨2年(1322)に完成したので元亨釈書という。 本書は、吉川経基が至徳元年(1384)の重刊本から転写したものを…
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太平記 吉川元春筆四十冊 付 太平記目録

指定区分/種別
書跡(国指定重要文化財)
所有者等
公益財団法人 吉川報效会
太平記は南北朝時代の争乱のいきさつを記した軍記物語である。文章は漢文調を交えて豪壮絢爛、文学作品として法師などにより講釈もせられたが、史書としても相当の価値を有し、また兵書として戦国時代の武人の間でひろく愛読されたものである。 本書は世にいう吉川太平記と呼ばれるものである。太平記が現在流布され…
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紙本墨書細字法華経八巻 付 仁和寺任助法親王御譲状一通

指定区分/種別
書跡 (国指定重要文化財)
所有者等
公益財団法人 吉川報效会
法華経8巻を細字で1巻に書写したもの。白麻紙に金泥で罫線を引き、各行17字ずつ2段に墨書してある。本文の筆者は弘法大師と伝えられているが、確証があるわけではなく、平安初期の写経師の筆によるものと推測される。中国の唐代(618~907)の細字経は御物の他にも見受けられるが、平安初期に作成された細字経は…
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紙本墨書吾妻鏡四十七冊並びに年譜一冊

指定区分/種別
書跡 (国指定重要文化財)
所有者等
公益財団法人 吉川報效会
吾妻鏡は、治承4年(1180)から文治3年(1266)に至る87年間の鎌倉幕府の記録で、曲筆の個所もないではないが、当時の事情がある程度詳細に記述されており、鎌倉時代研究の根本史料である。 袋綴の冊子本で、本文を47冊に収め、これに年譜1冊を加えて48冊としている。本文の末尾に大永2年(152…
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山道草花鶴亀文繍箔胴服

指定区分/種別
工芸品 (国指定重要文化財)
所有者等
公益財団法人 吉川報效会
安土桃山時代中期の天正15年(1587)九州征伐出陣の功により豊臣秀吉から吉川広家が拝領したものと伝えられている。 身幅が広く、広袖であるが振りはない。垂領で後は背割になっている。山道文を全面にして雪持芦、同笹、松樹、桐紋、鶴亀文の刺繍がなされ、さらに金摺箔が施されている。 その意匠技法…
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吉香神社本殿・拝殿及び弊殿・神門・鳥居 付 棟札

指定区分/種別
建造物(国指定重要文化財)
所有者等
宗教法人 吉香神社
吉香神社は、旧藩主吉川氏歴代を祀る神社で、元は横山の白山神社境内にあったものを明治18年(1885)に現在地である御土居跡に遷座している。指定されている建物は、享保13年(1728)に造営された神門、拝殿及び弊殿、本殿、鳥居の三棟、一基である。 神門は、左右に脇門付袖塀をもつ小型の四脚門で、冠…
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紙本墨画淡彩湖亭春望図

指定区分/種別
絵画(県指定有形文化財)
所有者等
公益財団法人 吉川報效会
図の上部には「湖亭春望」と題された七言律詩が書かれており、「天與老雪」の名と「清啓」の朱文方印があるので、賛者は天與清啓(てんよせいけい)であることがわかる。関防印は「暁遠夜鶴」である。 湖亭春望図には印章、落款ともないが、雪舟筆の伝えがあり、天與清啓の賛がある。 賛を賦した天與清啓は、…
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軍配團扇

指定区分/種別
工芸品(市指定有形文化財)
所有者等
三島神社
社伝によれば、軍配團扇は明治4年(1871)の廃藩置県に際し、旧藩主吉川経健が甲と共に三島神社に寄進したと伝えられている。 江戸時代に製作されたもので、軍配團扇は合戦の際に、軍兵を指揮統率するために用いられたもので、大将の携行する兵具である。 この軍配團扇は羽及び留め金、被せ金などに吉川家の…
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吉川家文書(明治追加)32巻 付 明治追加目録1刷

指定区分/種別
古文書(市指定有形文化財)
所有者等
公益財団法人 吉川報效会
紙本墨書で巻子装となっており、31巻と番外1巻の中に504点の文書が収録されている。31巻は編纂する過程で分類毎に整理されており、明治追加目録によると第一~第三が「勅諚及び叡旨」、第四が「幕府告達」、第五が「忠正忠愛二公(毛利敬親、毛利元徳)手書」、第六、第七が「長徳清(長府、徳山、清末)三公手翰」…
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旧吉川家岩国事務所

指定区分/種別
建造物(県指定有形文化財)
所有者等
岩国市
事務所、倉庫、便所の3棟からなる。事務所は、木造、寄棟造、2階建、桟瓦葺、床面積234.28㎡。倉庫は、木造、切妻造、2階建、桟瓦葺、床面積79.52㎡。便所は、木造、切妻造、平屋建、桟瓦葺、床面積14.30㎡(渡り廊下を含める)。 この建物は、昭和6年(1931)、吉川家岩国事務所として建設…
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桐・九曜紋蒔絵挾箱 付 目録

指定区分/種別
工芸品(市指定有形文化財)
所有者等
公益財団法人 柏原美術館
大きさは横幅58.1㎝、奥行39.8㎝、高さは箱38.8㎝、蓋7.8㎝である。 挾箱は外出に際し、具足や着替用の衣服などを中に入れ、棒を通して従者にかつがせた箱で、江戸時代には定紋をつけて武家の格式を示した。 造りは印籠造りで、身に比べて蓋が浅く、垂直、水平線の組み合わせにより構成されて…
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仙鳥館

指定区分/種別
建造物(市指定有形文化財)
所有者等
公益財団法人 吉川報效会
仙鳥館(仙鳥御屋形)は、元禄11年(1698)、岩国藩5代藩主吉川広逵(きっかわひろみち)の住居として建設された。同年11月20日、2歳の広逵は母と共に完成した屋形に移居している。 以後、主として、藩主吉川家の子女を養育するとともに、その母親(夫人)が共に生活する建物として利用された。明和5年…
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昌明館付属屋及び門

指定区分/種別
建造物(市指有形文化財)
所有者等
公益財団法人 吉川報效会
昌明館は寛政5年(1793)に七代藩主吉川経倫(きっかわつねとも)の隠居所として建造され、経倫の死後は八代藩主経忠(つねただ)の夫人喬松院(きょうしょういん 柏原藩主織田信憑の次女悌 てい)が居住した。 明治に入ると一時、岩国県庁が置かれた。その後、吉川家の家職を司る用達所が設けられ、近代吉川…
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色々威腹巻

指定区分/種別
工芸品 (国指定重要文化財)
所有者等
公益財団法人 柏原美術館
胴の高さ27.8㎝、胴廻り91.5㎝、草摺(くさずり=胴の下にさがっていて、足の太股を守る部分)の長さ24.5㎝の大きさである。小札(こざね 甲冑の部位をつくる短冊状の板)は黒漆塗の革小札と鉄小札を一枚ずつ交互に交えて、赤、白、紫の三色を用いて段々に威している。威す(おどす)とは小札の穴に糸を通すこ…
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太刀 銘 為次(狐ヶ崎)付 黒漆太刀拵

指定区分/種別
工芸品(国宝)
所有者等
公益財団法人 吉川報效会
身の長さ78.5cm、反り3.4cmの太刀である。刀身の地肌は小板目肌で、刃文は小乱に足・葉入りの一見、古備前風の太刀であるが、鎌倉初期の備中青江の作である。とくに、この太刀が国宝に指定された理由は、刀身が少しも磨滅せず、打ちおろしのように平肉豊かで、しかも、当初の革着せ黒漆太刀拵が付属していること…
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