吉川家文書

国14吉川家文書86巻ほか
種別(指定区分)
書跡 (国指定重要文化財)
員数
八十六巻七幅 五帖一面 二通一冊
指定年月日
昭和49年(1974)6月8日
所有者等
公益財団法人 吉川報效会
所在地
岩国市横山二丁目7-3

吉川家文書は、旧岩国藩主吉川家に所蔵されている古文書類の総称で、正治2年(1200)正月25日鎌倉将軍(頼家)家下文案(播磨国福井庄地頭職補任状)を上限として、江戸時代貞享年間(1684~1688)に至る総数2393点を収めている。

吉川家は、もと駿河国入江荘吉河の住人で、鎌倉時代に播磨国福井庄、安芸国大朝庄の地頭職を得て、正和2年(1313)の根拠を安芸国に移した。以来南北朝の内乱期を経て国人領主として発展し、経基の時に隆盛期をむかえている。室町時代の末に毛利氏に帰属し、毛利元就の二男元春が養子となるに及んで以後は毛利氏の一族として活躍した。

本文書は、こうした吉川氏の歴史を反映したもので、鎌倉、南北朝、室町各時代の文書は関東御家人、あるいは国人領主層の動向を伝えた文書として中世史上価値が高く、戦国・桃山時代のものは毛利氏の中国経営、ことに山陰攻略の仔細、あるいは大内・大友との交渉、豊臣秀吉の九州平定、朝鮮出兵などに関する根本文書として貴重である。文書中、特に注目すべき点は、歴代、殊に元春、元長、広家らの自筆書状の多いことで、毛利家文書と同じく一族の結束と領内経営に務めた戦国大名の姿を示して興味深い。中でも天正9年6月13日の元春、同夫人(熊谷氏)連署書状は、経言(広家)に対する教誡状で、元春の人柄を伝えて注目され、また、広家書状には関ヶ原の戦いをめぐる毛利氏の動向を窺わせるものが多い。この他、足利直冬に関する文書がまとまっていること、信長の運命を予言した安国寺恵瓊自筆書状のあることなど、中世史研究上重要な文書が含まれ、毛利家文書と並ぶ戦国大名家文書として貴重である。