山代紙勘場とも言われ、見取所と紙蔵が設けられていた。
アーカイブ: 埋蔵文化財
柱島塩浜跡
柱島の北西部、南東部の浜に立地する塩田跡である。近世の絵図で確認されている。
本呂尾遺跡
遺跡範囲内には、吉川広家の隠居所跡や海前寺跡と推測される平坦面が残る。
成君寺山首塚
慶長山代一揆で処刑された庄屋の首を埋めた墓とされる。周辺にも墳墓がみられる。
阿賀正下遺跡
定角式の磨製石斧が採取されている。石材は輝石安山岩である。
小瀬砲台群
四境戦争の際に小瀬から和木にかけて小瀬川沿いを中心に設営された砲台陣地の跡である。大砲を据える陣地とみられる平坦面が確認出来る。
上市遺跡
発掘調査は行われていないが、各時代の遺物が採取されている。中世土師器の良好な資料も見つかっている。
小瀬番所・一里塚跡
近世山陽道が周防国に入った際の最初の一里塚を設けた場所であり、また芸防国境にあたることから、出入国を見張る番所が置かれていた。試掘調査では番所時代と思われる、瓦が出土した。
諏訪本貝塚
台地の崖面に貝を含む層が確認され、貝とともに弥生時代のものとみられる土製紡錘車が出土した。
柱島城跡
柱島にある金蔵山(標高283m)の中腹に所在する城跡で、郭跡のほか、堀切、土塁が確認されている。
端島海底遺跡
漁の際に土師器壺が引き上げられた。海中での調査は行っていないため、詳細は不明である。
槇原遺跡
工事中に素焼壺が3個体発見され、その中から約2万枚の中国銭が出土した。最新銭が明代のものであるため、15世紀~16世紀の間に埋められたものと考えられる。
江臨寺谷横穴
宅地造成により発見され、土師器、須恵器、鉄製品、人骨が見つかっている。人骨は改葬されている。時期は出土遺物から6世紀後半とみられる。
石丸古墳(猿ヶ谷古墳)
明治26年(1893)に水落簡、長谷川友之助の両名によって、発見され発掘がなされた。石室とみられる箇所から須恵器や装飾品、武具、馬具等が出土している。
国近遺跡
水田からの土取りの際に発見された。石鏃、剥片ともに安山岩製である。
平家屋敷跡
平家落人の集落として伝えられている。若干の平坦面が確認出来る。
久田遺跡
弥生時代中期の土器が採集されている。その中には、伊予系の凹線紋期の高坏がある。
随門遺跡
道路工事の排土中より磨製石斧等が発見された。磨製石斧は輝石安山岩製である。
鞍掛山城跡
いわゆる鞍掛合戦で杉隆康が城主であった城として知られている。
城は玖西盆地の北東側に位置する鞍掛山の山頂に立地する。城域は東西450m、南北320mである。
山頂部の主郭があり、主郭から北東方向と北西方向にいくつかの曲輪が配されている。