随神像

随神像は本来神社の門である随身門の両脇に置かれるもので、俗に矢大臣、左大臣といい、剣を携帯し、矢を背負った衛門(えもん=門を守る兵士)の姿をしている。
随神像があることは、かつては随身門が存在していたことを示している。

これらの像は、ヒノキの一木造りであり、著名な彫刻師の作とは思われないが、桧の一木彫で、鬢(びん=耳際の髪)をもつ像には永享元年(1429)の墨書銘がかろうじて判読できる。
欠落部分が随所に見られるが、顔の相をはじめ、全体的によく整えられて制作されている。

 

狛犬(一対)

狛犬は神社の入口や神殿の前におかれ、悪魔払いや災危防除の役目をしたといわれる。
この狛犬は木製のもので、胴体は一木造りで彫られたもので、尾の部分は枘(ほぞ)が付き、胴体に付された枘穴と合わさるようになっている。
狛犬の底面には墨書があり、貞治5年(1366)に神主教一(かんぬしきょういつ)が願主となって造進したと記載がある。

彫法は素朴であるが制作時期のわかる木製狛犬は少なく、貴重である。

生見中村観音堂

旧栄福寺の古跡とされ、県指定文化財大般若経全600帖付唐櫃(からひつ)3合が納められている観音堂である。
観音堂は「辻堂」としての性格も持ち、吹き抜けの建物で、仏像や大師像を安置し、集落の信仰の場や休憩の場でもあった。

また、ここでは毎年旧暦7月1日に、地区住民により大般若経を転読し、数珠を繰る「生見中村ねんぶつ行事」(市指定文化財)も催されている。