旧栄福寺大般若経六百帖付唐櫃三合

折本装。全600帖を唐櫃(からびつ)3合に納める。巻第82に養和元年(1181)8月8日の朱筆校合奥書があり、書写年代が平安時代まで遡る県下最古の大般若経の遺例として貴重である。

書写ならびに伝来の経緯は定かではないが、寺伝によれば、もと美和町内の仏寺に伝世していたものが、慶安年中(1648~1651)に栄福寺に納められた。その後、盛久寺を経て、現在、栄福寺の古跡とみられる中村地区の観音堂(生見中村観音堂)に安置されている。

なお、全600帖のうち、第1帖、第301帖、第600帖の3帖だけが別に1帙(ちつ=厚紙を芯にして,丈夫な布や紙を貼りつけたもの)に納められており、昔から大事なものと言い継がれているが、別置の時期や理由については伝わっていない。ただ、この3帖及び帙にはそれぞれ修理記事があることが理由の1つとして考えられる。

全600帖が完存し、保存状態も良好で、毎年旧暦7月1日には地区住民により転読されている。(生見中村ねんぶつ行事)

大内版 三重韻

岩国徴古館本「三重韻」は、内題に「聚分韻略」(しゅうぶんいんりゃく)とあり、巻末の跋文によれば天文8年(1539)3月、大内義隆の版行により、「周防大内版」として知られているものである。

「聚分韻略」は南北朝時代、五山の学僧虎関師錬が作詩用の辞書として漢字を平・上・去・入・の韻を以って分類し、同韻の字をさらに乾坤・時候・気形・支体・態芸・生植・食服・器財・光彩・数量・虚押・複用の十二門に分け、各語の下に、簡単な注を加えたものである。検索に便利なため禅林の間に大いに喜ばれ版を重ねたが、文明13年(1481)刊行の薩摩版に至って編修の体裁を改め、平・上・去の三韻を三段に重ね、入声の韻は別に末尾に付して、いわゆる「三重韻」とした。

この資料は、義隆の好学を示すとともに大内文化の遺産として珍重すべきものであるが、東洋文庫本のほか、伝本は少なく、県内に現存するのはこれのみで、貴重である。

大乗経(二百巻)

大乗とは利他救済の立場から広く人間全体の平等と成仏を説き、それが仏の教えの真の大道であるとする教えであり、その教えをとく経典を大乗経といい、『大般涅槃経』などの経典、二百巻を箱に納めている。制作年代、制作者等は不明であるが、巻末に永正2年(1505)、天文13年(1544)、寛政2年(1791)の三度の補修の年代が記録されており、最初の補修である永正2年より古い年代に制作されたものと思われる。

また、天文13年(1544)の補修には、深龍寺の開基となる深川将監藤原朝臣胤兼(ふかがわしょうげんふじわらあそんたねかね)の名が出ている。