昌明館付属屋及び門

昌明館は寛政5年(1793)に七代藩主吉川経倫(きっかわつねとも)の隠居所として建造され、経倫の死後は八代藩主経忠(つねただ)の夫人喬松院(きょうしょういん 柏原藩主織田信憑の次女悌 てい)が居住した。

明治に入ると一時、岩国県庁が置かれた。その後、吉川家の家職を司る用達所が設けられ、近代吉川家の岩国における拠点となっている。

敷地内の建物群は解かれて現在は吉川史料館の敷地となっているが、長屋2棟と門が現存する。長屋は現在までに幾度かの改変をうけているがその外観は当時の姿をよくとどめている。

構造は、桁行7間、梁行2間、入母屋造、出桁造、両袖瓦葺。東側庇付き、北端2間中二階付、南端東側2間に下屋付きである。