冠遺跡

西中国山地の中央部にある冠高原とその周辺部に立地する遺跡で、後期旧石器時代前半期から縄文時代前期にかけての石器類や安山岩の原石等が多く分布している。この安山岩は宇佐平遺跡や用田遺跡等で出土する石器の石材であり、岩国市内の遺跡だけでなく、かなりの広範囲に広がっている。

遺跡の調査は広島県側で調査が行われており、多くの成果があるが、岩国市側の遺跡範囲では広島県教育委員会によってわずかな試掘が行われたのみである。

高森皿山窯跡

連房式の窯の基底部らしき痕跡があり、その周辺に窯道具等が散布している。

阿品窯跡

近世末から明治前半にかけて操業されていた窯であり、明治期には石見系の瓦窯として操業していたとみられる。また、エドワード・モースが岩国を訪れた際にも、錦帯橋のほか、この窯も訪問しており、数点に陶器を購入している。

令和3年(2022)度に試掘調査を実施した。窯跡自体の発見はなかったが、明治期の窯の窯体や窯道具等の散布を確認している。

皿山窯跡

18世紀後半に開窯された窯で、肥前系磁器に類似する染付を生産していた。19世紀に入ると磁土が不足し、若干陶器質気味のものが焼かれるようになる。

遺跡内では、陶磁器や窯道具が採集されている。

多田窯跡

元禄13年(1700)に京都の陶工丹波屋安兵衛を招いて、多田の地で開窯したのが、多田窯である。以降、19世紀の初頭まで岩国藩の御用窯として機能していた。窯跡自体は見つかっていないが、匣鉢などの窯道具が採集されている。

柱島塩浜跡

柱島の北西部、南東部の浜に立地する塩田跡である。近世の絵図で確認されている。