発掘調査は行われていないが、昭和46年(1971)に農地の溝を整備する際に弥生土器の甕1個体がほぼ完形で見つかっている。また、関連する遺物は確認されていないが、古代山陽道の駅家である「野口駅家」の推定地と考えられている。
発掘調査は行われていないが、昭和46年(1971)に農地の溝を整備する際に弥生土器の甕1個体がほぼ完形で見つかっている。また、関連する遺物は確認されていないが、古代山陽道の駅家である「野口駅家」の推定地と考えられている。