岩国に入府した吉川広家によって城山の山頂部に築かれた城である。慶長13年(1608)に完成し、慶長20年(1615)の一国一城令によって破却され廃城となった。
天守台の発掘調査が平成6年(1994)に行われ、天守台には礎石が確認されている。また周囲では大量の瓦が出土している。瓦は、岩国在地産のものが少なく、福岡からの搬入瓦が目立つようである。このほか城の破却の際の状況が、特徴的で良好に残されており、この点についても注目される。
岩国に入府した吉川広家によって城山の山頂部に築かれた城である。慶長13年(1608)に完成し、慶長20年(1615)の一国一城令によって破却され廃城となった。
天守台の発掘調査が平成6年(1994)に行われ、天守台には礎石が確認されている。また周囲では大量の瓦が出土している。瓦は、岩国在地産のものが少なく、福岡からの搬入瓦が目立つようである。このほか城の破却の際の状況が、特徴的で良好に残されており、この点についても注目される。