昭和34年(1959)に周東町教育委員会が主体として、小野忠熈氏の指導のもと、発掘調査が行われ、古墳時代後期(6世紀後半)の横穴式石室が確認され、副葬品が出土した。
横穴式石室は玄室部と羨道部の境に袖石を有する両袖式で、石室の全長は7.5mで、玄室長は4.2m、幅1.8~2.0mで、羨道長は3.25m、幅1.1mの規模である。
遺物は、須恵器、鉄製品(刀・鏃・馬具)、装身具(耳環・ガラス製勾玉・ガラス製小玉)
が出土した。
昭和34年(1959)に周東町教育委員会が主体として、小野忠熈氏の指導のもと、発掘調査が行われ、古墳時代後期(6世紀後半)の横穴式石室が確認され、副葬品が出土した。
横穴式石室は玄室部と羨道部の境に袖石を有する両袖式で、石室の全長は7.5mで、玄室長は4.2m、幅1.8~2.0mで、羨道長は3.25m、幅1.1mの規模である。
遺物は、須恵器、鉄製品(刀・鏃・馬具)、装身具(耳環・ガラス製勾玉・ガラス製小玉)
が出土した。