祖生盆地の中央に位置する独立丘陵上に立地する。規模は長さ約130m、幅65mである。頂部の平坦面に西側に曲輪群が付く。
昭和62年(1987)、頂部南側にある冷泉社の改築の際に発掘調査が行われ、宝篋印塔や備前が出土している。13~14世紀の間は城館ではなく、墳墓として使われていた可能性がある。付近には冷泉北遺跡があり、館に関連する集落と考えられている。
祖生盆地の中央に位置する独立丘陵上に立地する。規模は長さ約130m、幅65mである。頂部の平坦面に西側に曲輪群が付く。
昭和62年(1987)、頂部南側にある冷泉社の改築の際に発掘調査が行われ、宝篋印塔や備前が出土している。13~14世紀の間は城館ではなく、墳墓として使われていた可能性がある。付近には冷泉北遺跡があり、館に関連する集落と考えられている。