享保17年(1732)、西日本一体に来襲した蝗害(イナゴの害)は各地に多数の餓死者を出した。 当時の生見村も同様に、213人の餓死者を出し、この人数は、村の人口の2割~3割にあたると推測されている。 こうした状況を記しているのが本資料である。
この過去帳は、生見村(現美和町生見)にあった善秀寺に伝えられたものであり、明治の初めに善秀寺が廃寺となり、防万寺に移されたものである。
享保17年(1732)、西日本一体に来襲した蝗害(イナゴの害)は各地に多数の餓死者を出した。
当時の生見村も同様に、213人の餓死者を出し、この人数は、村の人口の2割~3割にあたると推測されている。
こうした状況を記しているのが本資料である。
この過去帳は、生見村(現美和町生見)にあった善秀寺に伝えられたものであり、明治の初めに善秀寺が廃寺となり、防万寺に移されたものである。