社伝によれば、軍配團扇は明治4年(1871)の廃藩置県に際し、旧藩主吉川経健が甲と共に三島神社に寄進したと伝えられている。 江戸時代に製作されたもので、軍配團扇は合戦の際に、軍兵を指揮統率するために用いられたもので、大将の携行する兵具である。
この軍配團扇は羽及び留め金、被せ金などに吉川家の家紋である九曜紋をあらわしており、吉川家当主が使用したものと思われ、羽の中央を通る柄の上には摩利支尊天の文字を記している。摩利支尊天は障難を除き、利益を与えるものとして、武士の間に守護神として広く信仰されていた。羽の面に月の文字と月の満欠けを組み合わせて表示し、星を操って戦運を占い、それに基づく独自の日取図と占いの結果を書きあらわした典型的な軍配團扇である。
保存状態は良好で、江戸時代の模式的な軍配團扇の遺品として貴重である。
社伝によれば、軍配團扇は明治4年(1871)の廃藩置県に際し、旧藩主吉川経健が甲と共に三島神社に寄進したと伝えられている。
江戸時代に製作されたもので、軍配團扇は合戦の際に、軍兵を指揮統率するために用いられたもので、大将の携行する兵具である。
この軍配團扇は羽及び留め金、被せ金などに吉川家の家紋である九曜紋をあらわしており、吉川家当主が使用したものと思われ、羽の中央を通る柄の上には摩利支尊天の文字を記している。摩利支尊天は障難を除き、利益を与えるものとして、武士の間に守護神として広く信仰されていた。羽の面に月の文字と月の満欠けを組み合わせて表示し、星を操って戦運を占い、それに基づく独自の日取図と占いの結果を書きあらわした典型的な軍配團扇である。
保存状態は良好で、江戸時代の模式的な軍配團扇の遺品として貴重である。