縦85.0cm、横36.0cmの比較的小さい掛幅である。 上部に光明真言二十三字を金泥でそれぞれ小円の中に書き、これを右から円形に並べた、いわゆる字輪の内部に、智拳印(ちけんいん)を結ぶ金剛界(こんごうかい)の大日如来の坐像を描き、中央に開敷蓮華(かいしきれんげ)の華台に定印を結ぶ胎蔵界(たいぞうかい)の大日如来の坐像をあらわし、八葉の蓮弁に、上部から向かって右廻りに宝幢如来(ほうどうにょらい)・普賢菩薩(ふげんぼさつ)・開敷華王如来(かいしきかおうにょらい)・文殊菩薩・無量寿如来(むりょうじゅにょらい)・観世音菩薩・天鼓電音如来・弥勒菩薩の八尊を配した、胎蔵界曼荼羅の中台八葉院を描き、さらに下部に蓮台を描いている。 幅の裏面に光明曼荼羅の墨書があるが、その図柄推して光明真言曼荼羅と、金剛界・胎蔵界曼荼羅とを合体したものと見られる。 光明真言曼荼羅は光明真言破地獄曼荼羅とも称し、光明真言二十三字を右から円形に書いた字論をいう。これはこの真言の一つ一つの字から放つところの光明が遍く衆生界を照らして無明煩悩の暗黒を破るという意味があり、字論から四方に放射線状に細い線を無数に墨書しているのは、これを表すものと思われる。細めの絹に金泥彩の極彩色で描いている。 下方の蓮台、殊にその蓮弁の描法等から、制作の時代は江戸初期ごろのものと見られるが、筆致はまことに精緻である。
本幅は先にも述べたように、おそらく光明真言に金・胎両部曼荼羅の中尊をいれて両界の意味を持たしたもので、光明真言両界曼荼羅とでも呼ぶべきものと考えられ、珍しいものである。
縦85.0cm、横36.0cmの比較的小さい掛幅である。
上部に光明真言二十三字を金泥でそれぞれ小円の中に書き、これを右から円形に並べた、いわゆる字輪の内部に、智拳印(ちけんいん)を結ぶ金剛界(こんごうかい)の大日如来の坐像を描き、中央に開敷蓮華(かいしきれんげ)の華台に定印を結ぶ胎蔵界(たいぞうかい)の大日如来の坐像をあらわし、八葉の蓮弁に、上部から向かって右廻りに宝幢如来(ほうどうにょらい)・普賢菩薩(ふげんぼさつ)・開敷華王如来(かいしきかおうにょらい)・文殊菩薩・無量寿如来(むりょうじゅにょらい)・観世音菩薩・天鼓電音如来・弥勒菩薩の八尊を配した、胎蔵界曼荼羅の中台八葉院を描き、さらに下部に蓮台を描いている。
幅の裏面に光明曼荼羅の墨書があるが、その図柄推して光明真言曼荼羅と、金剛界・胎蔵界曼荼羅とを合体したものと見られる。
光明真言曼荼羅は光明真言破地獄曼荼羅とも称し、光明真言二十三字を右から円形に書いた字論をいう。これはこの真言の一つ一つの字から放つところの光明が遍く衆生界を照らして無明煩悩の暗黒を破るという意味があり、字論から四方に放射線状に細い線を無数に墨書しているのは、これを表すものと思われる。細めの絹に金泥彩の極彩色で描いている。
下方の蓮台、殊にその蓮弁の描法等から、制作の時代は江戸初期ごろのものと見られるが、筆致はまことに精緻である。
本幅は先にも述べたように、おそらく光明真言に金・胎両部曼荼羅の中尊をいれて両界の意味を持たしたもので、光明真言両界曼荼羅とでも呼ぶべきものと考えられ、珍しいものである。