法華経8巻を細字で1巻に書写したもの。白麻紙に金泥で罫線を引き、各行17字ずつ2段に墨書してある。本文の筆者は弘法大師と伝えられているが、確証があるわけではなく、平安初期の写経師の筆によるものと推測される。中国の唐代(618~907)の細字経は御物の他にも見受けられるが、平安初期に作成された細字経は皆無に近く、貴重である。
その後、中世に巻物を折本に改め、紺紙金泥絵の見返し、紺紙金銀泥絵の表紙を付けて装丁し、華麗な青貝蒔絵の箱に収められている。
この1帖は、もと仁和寺の寺宝であったものを、天正12年(1584)、門跡であった任助法親王から吉川元長に下賜せられたもので、同年6月21日付の譲状が附せられている。
法華経8巻を細字で1巻に書写したもの。白麻紙に金泥で罫線を引き、各行17字ずつ2段に墨書してある。本文の筆者は弘法大師と伝えられているが、確証があるわけではなく、平安初期の写経師の筆によるものと推測される。中国の唐代(618~907)の細字経は御物の他にも見受けられるが、平安初期に作成された細字経は皆無に近く、貴重である。
その後、中世に巻物を折本に改め、紺紙金泥絵の見返し、紺紙金銀泥絵の表紙を付けて装丁し、華麗な青貝蒔絵の箱に収められている。
この1帖は、もと仁和寺の寺宝であったものを、天正12年(1584)、門跡であった任助法親王から吉川元長に下賜せられたもので、同年6月21日付の譲状が附せられている。