極楽寺に伝存する中世文書6通を巻物に仕立てたもので、その内容は次のとおりである。 一、天文八年五月二十三日 後奈良天皇綸旨 一通 二、(年未詳)六月三日 後奈良天皇口宣 一通(権中納言広橋兼秀執達状) 三、(年未詳)二月朔日 豊臣秀吉書状 一通 四、弘治二年六月四日 毛利元就・隆元連署、新寺別当職補任状 一通 五、永禄十一年九月十八日 毛利輝元、新寺別当職補任状 一通 六、天正十六年二月二十八日 毛利輝元、新寺別当職補任状 一通
第一通は新寺が代々の勅願寺であることを確認し、先年火災により勅裁・院宣等をすべて紛失した由であるが、先規のように領知を全くし、皇家のために祈祷するようにとの後奈良天皇の綸旨を新寺別当宥頼に伝えたもの。 第二通は第一通の趣旨を、新寺別当宥頼に下知するようにとの、後奈良天皇の口宣を大内義隆に仰せ下されたもの。 第三通は尾崎坊が豊臣秀吉に、新春の御慶として祈祷に合わせ抹茶を送ったことに対する秀吉の礼状。 第四・五・六通は毛利元就・隆元および輝元の新寺別当に対する別当職補任状である。
極楽寺は古くからから勅願寺としての由緒を誇り、他に異なる寺格を有していたが、これらの文書はそのことを裏付ける重要な史料である。 極楽寺が度重なる寺家転退の中にあって、このような中世文書を伝存したことは貴重である。
極楽寺に伝存する中世文書6通を巻物に仕立てたもので、その内容は次のとおりである。
一、天文八年五月二十三日 後奈良天皇綸旨 一通
二、(年未詳)六月三日 後奈良天皇口宣 一通(権中納言広橋兼秀執達状)
三、(年未詳)二月朔日 豊臣秀吉書状 一通
四、弘治二年六月四日 毛利元就・隆元連署、新寺別当職補任状 一通
五、永禄十一年九月十八日 毛利輝元、新寺別当職補任状 一通
六、天正十六年二月二十八日 毛利輝元、新寺別当職補任状 一通
第一通は新寺が代々の勅願寺であることを確認し、先年火災により勅裁・院宣等をすべて紛失した由であるが、先規のように領知を全くし、皇家のために祈祷するようにとの後奈良天皇の綸旨を新寺別当宥頼に伝えたもの。
第二通は第一通の趣旨を、新寺別当宥頼に下知するようにとの、後奈良天皇の口宣を大内義隆に仰せ下されたもの。
第三通は尾崎坊が豊臣秀吉に、新春の御慶として祈祷に合わせ抹茶を送ったことに対する秀吉の礼状。
第四・五・六通は毛利元就・隆元および輝元の新寺別当に対する別当職補任状である。
極楽寺は古くからから勅願寺としての由緒を誇り、他に異なる寺格を有していたが、これらの文書はそのことを裏付ける重要な史料である。
極楽寺が度重なる寺家転退の中にあって、このような中世文書を伝存したことは貴重である。