この記の書体は、江戸時代に流行した御家流のものとは違っており、室町時代五山文学僧の伝統的な書の格調を伝えるものである。
松濤軒は松巌院境内にある隠寮(茶席)で、この南面に県指定となっている庭園がある。
1859年の「松濤軒記」には、庭園がその庭が天渓翁(てんけいおう)による作庭であると伝えており、記述から天保15年(1844)以前には松濤軒および庭園が造られていたと考えられる。
「松濤軒記」は、作庭記録として、年代や作庭者がわかるものであり、庭園史でも貴重な資料である。
この記の書体は、江戸時代に流行した御家流のものとは違っており、室町時代五山文学僧の伝統的な書の格調を伝えるものである。
松濤軒は松巌院境内にある隠寮(茶席)で、この南面に県指定となっている庭園がある。
1859年の「松濤軒記」には、庭園がその庭が天渓翁(てんけいおう)による作庭であると伝えており、記述から天保15年(1844)以前には松濤軒および庭園が造られていたと考えられる。
「松濤軒記」は、作庭記録として、年代や作庭者がわかるものであり、庭園史でも貴重な資料である。