像は総高46.1cm、ヒノキ材の一本造りで内刳りを施していない。 円頂で法衣の上に袈裟をつけ、袖や裳裾を前方に長く垂らし、曲隶上に安坐する、いわゆる頂相彫刻の形式である。制作時期は鎌倉時代と考えられている。
智者大師は天台宗の開祖である智顗(ちぎ 538-597)のことで、天台大師ともいう。 湖南省南部の華容に生まれ18歳で出家し、諸方で学んだのち、560年、光州の大蘇山で慧思に禅観をうけ、金陵(南京)瓦官寺で法華経や大智度を講じ、禅を教えて陳帝の信任をえたが、575年、浙江省の天台山に籠り、天台教学を確立したとされる。
像は総高46.1cm、ヒノキ材の一本造りで内刳りを施していない。
円頂で法衣の上に袈裟をつけ、袖や裳裾を前方に長く垂らし、曲隶上に安坐する、いわゆる頂相彫刻の形式である。制作時期は鎌倉時代と考えられている。
智者大師は天台宗の開祖である智顗(ちぎ 538-597)のことで、天台大師ともいう。
湖南省南部の華容に生まれ18歳で出家し、諸方で学んだのち、560年、光州の大蘇山で慧思に禅観をうけ、金陵(南京)瓦官寺で法華経や大智度を講じ、禅を教えて陳帝の信任をえたが、575年、浙江省の天台山に籠り、天台教学を確立したとされる。