ケヤキ造りで高さ32㎝、幅32㎝、重さ5㎏をはかる。岩国出身の工人、出目上満(でめじょうまん)作で像の背面に作者の墨書銘がある。力士像は梁や桁の上に置かれる部材、蛙股(かえるまた)として作られており、装飾として用いられ、金正院の向拝として掲げられている。金正院は、元々観音堂といい、享和から文化年間(1801~17)に改築が行われ、その際に奉納されたものである。
この像は、特異な意匠を有しており、その彫刻技術は力強さがあり、非凡なものである。作者の出目上満は本名を福屋弥惣左衛門(ふくややそうざえもん)といい、千石原の生まれで藩の作事組に属した工人で弘化2年(1845)に没している。近世岩国の工人の作品として貴重である。
ケヤキ造りで高さ32㎝、幅32㎝、重さ5㎏をはかる。岩国出身の工人、出目上満(でめじょうまん)作で像の背面に作者の墨書銘がある。力士像は梁や桁の上に置かれる部材、蛙股(かえるまた)として作られており、装飾として用いられ、金正院の向拝として掲げられている。金正院は、元々観音堂といい、享和から文化年間(1801~17)に改築が行われ、その際に奉納されたものである。
この像は、特異な意匠を有しており、その彫刻技術は力強さがあり、非凡なものである。作者の出目上満は本名を福屋弥惣左衛門(ふくややそうざえもん)といい、千石原の生まれで藩の作事組に属した工人で弘化2年(1845)に没している。近世岩国の工人の作品として貴重である。