事務所、倉庫、便所の3棟からなる。事務所は、木造、寄棟造、2階建、桟瓦葺、床面積234.28㎡。倉庫は、木造、切妻造、2階建、桟瓦葺、床面積79.52㎡。便所は、木造、切妻造、平屋建、桟瓦葺、床面積14.30㎡(渡り廊下を含める)。
この建物は、昭和6年(1931)、吉川家岩国事務所として建設された。昭和45年頃から平成20年まで「岩国市青年の家」として使用され、現在は岩国徴古館の付属施設である。設計は堀口捨己(1895~1984)で、外部・内部ともに、ほぼ建設当時の姿をとどめている。
事務室の開口部のデザインや室の雰囲気などに初期の堀口の作風がよく出ていること、サッシュも含めて当初のものがよく残っていること、堀口の初期の作品で現存するのはいずれも洋風のものであるので、彼の系譜をたどる上で、特に和室研究の過程を知るうえで重要である。
この建物は、堀口が西洋建築を学んだあと、日本建築の研究を開始し、日本的なものを建築作品に反映させようと考え始めたころの作品にあたる。特に目立った建物ではないが、平面・構造が簡素明快であること、左右非相称、無装飾、素材の美の尊重など、建物全体に堀口の考えた日本的なものが現れている。
事務所、倉庫、便所の3棟からなる。事務所は、木造、寄棟造、2階建、桟瓦葺、床面積234.28㎡。倉庫は、木造、切妻造、2階建、桟瓦葺、床面積79.52㎡。便所は、木造、切妻造、平屋建、桟瓦葺、床面積14.30㎡(渡り廊下を含める)。
この建物は、昭和6年(1931)、吉川家岩国事務所として建設された。昭和45年頃から平成20年まで「岩国市青年の家」として使用され、現在は岩国徴古館の付属施設である。設計は堀口捨己(1895~1984)で、外部・内部ともに、ほぼ建設当時の姿をとどめている。
事務室の開口部のデザインや室の雰囲気などに初期の堀口の作風がよく出ていること、サッシュも含めて当初のものがよく残っていること、堀口の初期の作品で現存するのはいずれも洋風のものであるので、彼の系譜をたどる上で、特に和室研究の過程を知るうえで重要である。
この建物は、堀口が西洋建築を学んだあと、日本建築の研究を開始し、日本的なものを建築作品に反映させようと考え始めたころの作品にあたる。特に目立った建物ではないが、平面・構造が簡素明快であること、左右非相称、無装飾、素材の美の尊重など、建物全体に堀口の考えた日本的なものが現れている。