この功績碑は弘化2年(1845)に山代(芸州)街道(萩~亀尾川)の府谷村内の改修および、水路の敷設、新田の開墾を庄屋森田杢左衛門(もりたもくざえもん)以下村民の努力で完成した功績を称えるため、時の藩主毛利敬親(もうりたかちか)が学者近藤芳樹(こんどうよしき)に命じて書かせた碑文である。
この功績碑は弘化2年(1845)に山代(芸州)街道(萩~亀尾川)の府谷村内の改修および、水路の敷設、新田の開墾を庄屋森田杢左衛門(もりたもくざえもん)以下村民の努力で完成した功績を称えるため、時の藩主毛利敬親(もうりたかちか)が学者近藤芳樹(こんどうよしき)に命じて書かせた碑文である。