この収蔵庫は吉川家の土蔵として明治24年(1891)に建設され、昭和26年(1951)に岩国徴古館とともに吉川報效会から岩国市に寄贈された。木造二階建、切妻造、桟瓦葺で、太い小屋梁など堅固な造りである。建築当初は、吉川家の美術品や資料を収めていたと思われる。石積み三段の背の高い基礎や広い戸前に外観上の特色がある。高い基礎は錦川の氾濫や湿気に備えたもので、内部中央に設けられた幅の広い階段などとともに資料の保管・搬出入などに適した造りとなっている。
徴古館第一収蔵庫及び他の吉川家の土蔵と同一形式であり、吉川家に共通した仕様に基づいて建設されたものであると推測される。
この収蔵庫は吉川家の土蔵として明治24年(1891)に建設され、昭和26年(1951)に岩国徴古館とともに吉川報效会から岩国市に寄贈された。木造二階建、切妻造、桟瓦葺で、太い小屋梁など堅固な造りである。建築当初は、吉川家の美術品や資料を収めていたと思われる。石積み三段の背の高い基礎や広い戸前に外観上の特色がある。高い基礎は錦川の氾濫や湿気に備えたもので、内部中央に設けられた幅の広い階段などとともに資料の保管・搬出入などに適した造りとなっている。
徴古館第一収蔵庫及び他の吉川家の土蔵と同一形式であり、吉川家に共通した仕様に基づいて建設されたものであると推測される。