当所は江戸時代の山代街道沿いにあり、当時の秋掛村と本郷村の境である引地峠におかれていた。 昭和初期まで、処刑される人々がつながれたという松の大木があったとされ、また刑に用いられた刀を洗ったと伝えられる池の跡も近くに残っている。
当所は江戸時代の山代街道沿いにあり、当時の秋掛村と本郷村の境である引地峠におかれていた。
昭和初期まで、処刑される人々がつながれたという松の大木があったとされ、また刑に用いられた刀を洗ったと伝えられる池の跡も近くに残っている。