この御縁紀三巻は宝永2年(1705)の秋、佐伯通次(さえきみちつぐ)、広兼時義(ひろかねときよし)其外氏子中が願主となって、本郷村三所大明神神主西村将監尚古(にしむらしょうげんなおふる)が記したもので、本郷八幡宮の縁起をもってこの御縁紀が調えられたと『防長寺社由来』(ぼうちょうじしゃゆらい)に記載されている。
縁紀の内容としては、上巻には、序文・神代序説・仲哀紀、中巻には応神紀・豊前国宇佐宮本紀、下巻には、八幡宮御縁紀・當社記録を収録する。 神社縁起の中では体裁がよく整っており、八幡縁起の内容もよく伝えられている。
この御縁紀三巻は宝永2年(1705)の秋、佐伯通次(さえきみちつぐ)、広兼時義(ひろかねときよし)其外氏子中が願主となって、本郷村三所大明神神主西村将監尚古(にしむらしょうげんなおふる)が記したもので、本郷八幡宮の縁起をもってこの御縁紀が調えられたと『防長寺社由来』(ぼうちょうじしゃゆらい)に記載されている。
縁紀の内容としては、上巻には、序文・神代序説・仲哀紀、中巻には応神紀・豊前国宇佐宮本紀、下巻には、八幡宮御縁紀・當社記録を収録する。
神社縁起の中では体裁がよく整っており、八幡縁起の内容もよく伝えられている。