随神像は本来神社の門である随身門の両脇に置かれるもので、俗に矢大臣、左大臣といい、剣を携帯し、矢を背負った衛門(えもん=門を守る兵士)の姿をしている。 随神像があることは、かつては随身門が存在していたことを示している。
これらの像は、ヒノキの一木造りであり、著名な彫刻師の作とは思われないが、桧の一木彫で、鬢(びん=耳際の髪)をもつ像には永享元年(1429)の墨書銘がかろうじて判読できる。 欠落部分が随所に見られるが、顔の相をはじめ、全体的によく整えられて制作されている。
随神像は本来神社の門である随身門の両脇に置かれるもので、俗に矢大臣、左大臣といい、剣を携帯し、矢を背負った衛門(えもん=門を守る兵士)の姿をしている。
随神像があることは、かつては随身門が存在していたことを示している。
これらの像は、ヒノキの一木造りであり、著名な彫刻師の作とは思われないが、桧の一木彫で、鬢(びん=耳際の髪)をもつ像には永享元年(1429)の墨書銘がかろうじて判読できる。
欠落部分が随所に見られるが、顔の相をはじめ、全体的によく整えられて制作されている。