総高105.8cm、鐘身高81.0cm、口外径61.0cm、同内径49.2cm。上・下帯とも無文。乳は4段4列に配されている。撞座は撞きくずれてその形状は明らかでない。「周防国玖珂庄新寺 文永九年十一月日 大工依継 願主明真」の銘文があり、鎌倉時代の文永9年(1272)に製作されたものである。
いつの頃からか岩国の永興寺(ようこうじ 吉川家の菩提寺)にあったが、本来、新寺(極楽寺)のものだとして、天和4年(1684)岩国藩主第四代吉川広紀の命により極楽寺に戻されたと伝えられている。
総高105.8cm、鐘身高81.0cm、口外径61.0cm、同内径49.2cm。上・下帯とも無文。乳は4段4列に配されている。撞座は撞きくずれてその形状は明らかでない。「周防国玖珂庄新寺 文永九年十一月日 大工依継 願主明真」の銘文があり、鎌倉時代の文永9年(1272)に製作されたものである。
いつの頃からか岩国の永興寺(ようこうじ 吉川家の菩提寺)にあったが、本来、新寺(極楽寺)のものだとして、天和4年(1684)岩国藩主第四代吉川広紀の命により極楽寺に戻されたと伝えられている。