この兜は岩国藩家老職であった香川家に伝来するもので、高さ16.5cm、径は前後25.4cm、左右20.9cm。銘文には、「防州住藤原正晨作」とある。銘文にある防州住藤原正晨は春田正晨(はるたまさあき 1657-1738)のことである。正晨は通称を次郎三郎といい、奈良の甲冑師春田正信(はるたまさのぶ)に師事し、のちに、岩国藩の甲冑師春田家の初代となる。
兜は筋兜といわれるもので兜本体を形成する鉄板を接ぎ留める鋲を見せず、鉄板の縁を捩(あお)り立て、接ぎ目を筋状に見せたものである。筋兜の筋は春田派の兜で120間となるものは珍しい。
また、これ程多くの細い筋が入った兜を何の乱れもなく作り上げた技術は高く評価され、美術的価値も高い。
この兜は岩国藩家老職であった香川家に伝来するもので、高さ16.5cm、径は前後25.4cm、左右20.9cm。銘文には、「防州住藤原正晨作」とある。銘文にある防州住藤原正晨は春田正晨(はるたまさあき 1657-1738)のことである。正晨は通称を次郎三郎といい、奈良の甲冑師春田正信(はるたまさのぶ)に師事し、のちに、岩国藩の甲冑師春田家の初代となる。
兜は筋兜といわれるもので兜本体を形成する鉄板を接ぎ留める鋲を見せず、鉄板の縁を捩(あお)り立て、接ぎ目を筋状に見せたものである。筋兜の筋は春田派の兜で120間となるものは珍しい。
また、これ程多くの細い筋が入った兜を何の乱れもなく作り上げた技術は高く評価され、美術的価値も高い。