永享9年(1437)に造られた山口県最古の鉄燈篭で、笠・火袋・中台・基礎の四つの部分が現存し、宝珠と竿は欠失している。寛延3年(1750)に萩藩に提出された「八幡宮由来書」によると「永享九丁巳八月吉日山代庄宇佐村長兼大工藤原朝臣安信」の銘文があり、欠失している竿の部分に銘文があったと推測される。
この鉄燈篭は弘化年間(1844-1848)に宇佐八幡宮の社殿を再建した際に出土したもので、地震等により地中に埋没した際に部材が欠失したものと考えられる。
基礎に見られる花文(かもん)や高肉彫り(たかにくぼり)の獅子などは技工的に優れており、金工資料としても重要である。
永享9年(1437)に造られた山口県最古の鉄燈篭で、笠・火袋・中台・基礎の四つの部分が現存し、宝珠と竿は欠失している。寛延3年(1750)に萩藩に提出された「八幡宮由来書」によると「永享九丁巳八月吉日山代庄宇佐村長兼大工藤原朝臣安信」の銘文があり、欠失している竿の部分に銘文があったと推測される。
この鉄燈篭は弘化年間(1844-1848)に宇佐八幡宮の社殿を再建した際に出土したもので、地震等により地中に埋没した際に部材が欠失したものと考えられる。
基礎に見られる花文(かもん)や高肉彫り(たかにくぼり)の獅子などは技工的に優れており、金工資料としても重要である。