岩国徴古館本「三重韻」は、内題に「聚分韻略」(しゅうぶんいんりゃく)とあり、巻末の跋文によれば天文8年(1539)3月、大内義隆の版行により、「周防大内版」として知られているものである。
「聚分韻略」は南北朝時代、五山の学僧虎関師錬が作詩用の辞書として漢字を平・上・去・入・の韻を以って分類し、同韻の字をさらに乾坤・時候・気形・支体・態芸・生植・食服・器財・光彩・数量・虚押・複用の十二門に分け、各語の下に、簡単な注を加えたものである。検索に便利なため禅林の間に大いに喜ばれ版を重ねたが、文明13年(1481)刊行の薩摩版に至って編修の体裁を改め、平・上・去の三韻を三段に重ね、入声の韻は別に末尾に付して、いわゆる「三重韻」とした。
この資料は、義隆の好学を示すとともに大内文化の遺産として珍重すべきものであるが、東洋文庫本のほか、伝本は少なく、県内に現存するのはこれのみで、貴重である。
岩国徴古館本「三重韻」は、内題に「聚分韻略」(しゅうぶんいんりゃく)とあり、巻末の跋文によれば天文8年(1539)3月、大内義隆の版行により、「周防大内版」として知られているものである。
「聚分韻略」は南北朝時代、五山の学僧虎関師錬が作詩用の辞書として漢字を平・上・去・入・の韻を以って分類し、同韻の字をさらに乾坤・時候・気形・支体・態芸・生植・食服・器財・光彩・数量・虚押・複用の十二門に分け、各語の下に、簡単な注を加えたものである。検索に便利なため禅林の間に大いに喜ばれ版を重ねたが、文明13年(1481)刊行の薩摩版に至って編修の体裁を改め、平・上・去の三韻を三段に重ね、入声の韻は別に末尾に付して、いわゆる「三重韻」とした。
この資料は、義隆の好学を示すとともに大内文化の遺産として珍重すべきものであるが、東洋文庫本のほか、伝本は少なく、県内に現存するのはこれのみで、貴重である。