この過去帳は旧下畑村(現美和町下畑)の養専寺に伝えられていたものである。
江戸時代の享保17年(1732)、西日本一体に来襲した蝗害(イナゴの害)は各地に無数の餓死人を出した。 当時の下畑村も同様に、304人の餓死者を出し、この人数は、村の人口の2割~3割にあたると推測されている。こうした状況を記しているのが本資料である。
この過去帳は旧下畑村(現美和町下畑)の養専寺に伝えられていたものである。
江戸時代の享保17年(1732)、西日本一体に来襲した蝗害(イナゴの害)は各地に無数の餓死人を出した。
当時の下畑村も同様に、304人の餓死者を出し、この人数は、村の人口の2割~3割にあたると推測されている。こうした状況を記しているのが本資料である。