毎年4月初旬、下の集落内である愛宕神社の境内で奉納されるこの神楽は、室町時代以降に畿内で発生し、西進して伝えられたという、錦川対岸の「岩国行波の神舞」と同系統で、これを伝えた社家(三上家)には、慶長11年(1606)の記録が現存する。
同家の記録によれば、明治3年(1870)9月の年限神楽は社家によって奉納されているが、明治7年11月には里神楽として奉納されている。
以来この神楽は、明治、大正を経て昭和28年11月まで舞われて来たが、戦争や災害等により一時中断、昭和55年4月再興された。
荘厳(そうごん)・六色幸文祭(ろくしきこうぶんさい)・諸神勧請(しょしんかんじょう)・注連灑水(ちゅうれんしゃすい)・三宝鬼人(さんぽうきじん)・荒霊豊鎮(こうれいぶちん)・弓箭将軍(きゅうせんしょうぐん)・眞榊対応内外(まさかきたいおうないがい)・日本記(にほんぎ)・愛宕八幡(あたごはちまん)・五龍地鎮(ごりゅうじちん)・天津岩座(あまついわざ)の12座の他、湯立(ゆだて)・火鎮(ひしずめ)が行われる。
古式をよく伝え、信仰・芸能史上貴重である。
毎年4月初旬、下の集落内である愛宕神社の境内で奉納されるこの神楽は、室町時代以降に畿内で発生し、西進して伝えられたという、錦川対岸の「岩国行波の神舞」と同系統で、これを伝えた社家(三上家)には、慶長11年(1606)の記録が現存する。
同家の記録によれば、明治3年(1870)9月の年限神楽は社家によって奉納されているが、明治7年11月には里神楽として奉納されている。
以来この神楽は、明治、大正を経て昭和28年11月まで舞われて来たが、戦争や災害等により一時中断、昭和55年4月再興された。
荘厳(そうごん)・六色幸文祭(ろくしきこうぶんさい)・諸神勧請(しょしんかんじょう)・注連灑水(ちゅうれんしゃすい)・三宝鬼人(さんぽうきじん)・荒霊豊鎮(こうれいぶちん)・弓箭将軍(きゅうせんしょうぐん)・眞榊対応内外(まさかきたいおうないがい)・日本記(にほんぎ)・愛宕八幡(あたごはちまん)・五龍地鎮(ごりゅうじちん)・天津岩座(あまついわざ)の12座の他、湯立(ゆだて)・火鎮(ひしずめ)が行われる。
古式をよく伝え、信仰・芸能史上貴重である。