笠塚神楽

出雲流の神楽で、どのようにしてこの地に伝わったかは明らかでないが旧日積村(現在の柳井市日積)から伝えられたとも言われる。
江戸末期と伝わる神楽面・神楽衣装・採物(とりもの)等を保持し、囃子の楽器は大太鼓・神楽笛・合鉦の三種類を用いる。
神楽の曲目は、1、湯立ちの舞 2、六神の舞 3、砂水の舞 4、勧請の舞 5、式太刀 6、日本紀の舞 7、三鬼の舞 8、内外の舞 9、地鎮の舞 10、将軍の舞 11、武鎮の舞 12、岩戸の舞 と、俗にいわれる「十二の舞」からなり、別に祈願神楽の際には「安鎮神舞」と「八幡神定」の2曲目が加えられる。

子安マリア観音立像

像高は約72㎝、ヒノキ材の寄木造りである。像の顔立ちは彫眼で容貌はふくよかである。
江戸時代、キリシタン信徒が幕府の厳重な禁圧の目をくぐり観音様と称して密かに礼拝した聖母像と伝えられている。

涅槃図

涅槃図は、釈迦の入滅とその嘆き悲しむ仏弟子や菩薩・諸天、在家信者、動物などによって構成される絵で、縦約3.6m横約2.7mの絹本着色の軸物である。
天正9年(1581)に善慧大師(ぜんえたいし)によって描かれた。

由宇町清水の山ノ神祭り

清水地区の人々によって五年に一度行われ、無病息災、五穀豊穣を祈願する。
清水地区南側の鎮守の森を祭壇にして、島田川の源流を挟み向かい合う、男神(樫の木)と女神(杉の木)をご神体として藁蛇(わらへび)と呼ばれる長いしめ縄を幾重にも巻きつけて祭事が行われる。
祭りは前夜祭と本祭に別れており、前夜際は前回の神事の際に籤により決められた当屋(とうや)で神事を行い、本祭は、当屋で獅子舞が行われた後、御神幸(ごしんこう)の列が当屋から鎮守の森まで進む。
到着の後、注連縄が巻かれた神木に供物を備えて、それぞれの神木の前で神官による祝詞の奏上がなされる。
神事の後は、次の当屋を籤で決めてから、餅まきが行われる。