昭和19年(1944)、吉川家の別邸である仙鳥館から移築した土蔵である。木造二階建、切妻造、桟瓦葺で、外壁には漆喰壁上に焼杉板が張られており、石積み三段の背の高い基礎や、西側全面に差し掛けられた広い戸前に外観上の特色がある。高い基礎は錦川の氾濫や湿気に備えたもので、内部中央に設けられた幅の広い階段などとともに、資料の保管・搬出入などに適した造りとなっている。
仙鳥館からの移築のため、軸部、小屋組などに不自然な点もあるが、徴古館第二収蔵庫及び他の吉川家の土蔵と同一形式であり、吉川家に共通した仕様に基づいて建設されたものであると推測される。
昭和19年(1944)、吉川家の別邸である仙鳥館から移築した土蔵である。木造二階建、切妻造、桟瓦葺で、外壁には漆喰壁上に焼杉板が張られており、石積み三段の背の高い基礎や、西側全面に差し掛けられた広い戸前に外観上の特色がある。高い基礎は錦川の氾濫や湿気に備えたもので、内部中央に設けられた幅の広い階段などとともに、資料の保管・搬出入などに適した造りとなっている。
仙鳥館からの移築のため、軸部、小屋組などに不自然な点もあるが、徴古館第二収蔵庫及び他の吉川家の土蔵と同一形式であり、吉川家に共通した仕様に基づいて建設されたものであると推測される。