この古墳は、昭和34年(1959)3月、北方在住の河付和人氏による巨石(古墳の天井石)の発見が端緒となり、文化財保護委員会の許可を得て、山口大学小野忠熙(おのただひろ)教授の指導のもと、山口大学学生、地元関係者、土地所有者(杉本法彦氏)の献身的奉仕と協力によって発掘された。
全長7.5mの横穴式石室をもつ古墳で、古墳時代後期(6世紀頃)の玖西盆地を支配した豪族の墳墓と推定される。副葬品として、鉄製の武器・馬具・工具・装身具・須恵器が出土した。
この古墳は、昭和34年(1959)3月、北方在住の河付和人氏による巨石(古墳の天井石)の発見が端緒となり、文化財保護委員会の許可を得て、山口大学小野忠熙(おのただひろ)教授の指導のもと、山口大学学生、地元関係者、土地所有者(杉本法彦氏)の献身的奉仕と協力によって発掘された。
全長7.5mの横穴式石室をもつ古墳で、古墳時代後期(6世紀頃)の玖西盆地を支配した豪族の墳墓と推定される。副葬品として、鉄製の武器・馬具・工具・装身具・須恵器が出土した。