岩国学校は、明治3年(1870)岩国藩主が藩中の青少年を教育するため学制の大改革を行い、旧兵学校と文学校を公中学・公小学に組織を改めて現在地の近くに新築、翌4年2月に開校したものである。校舎は上層を教員詰所、下層を教室にした二階建てであったが、学制発布の明治5年に三階を増築した。
当初の部分はほぼ和風様式であるが、増築した三階は屋根鉄板葺きアーチ窓、ヨロイ戸付、しっくい大壁造りの洋風である。
この和洋を混淆した手法は、明治初年の教育制度の激しい変革と文明開化の気運を象徴するもので、全国に現存する明治初年の学校建築の中においても様式の特異性において他に例を見ない。昭和47年8月に解体修理を実施している。
岩国学校は、明治3年(1870)岩国藩主が藩中の青少年を教育するため学制の大改革を行い、旧兵学校と文学校を公中学・公小学に組織を改めて現在地の近くに新築、翌4年2月に開校したものである。校舎は上層を教員詰所、下層を教室にした二階建てであったが、学制発布の明治5年に三階を増築した。
当初の部分はほぼ和風様式であるが、増築した三階は屋根鉄板葺きアーチ窓、ヨロイ戸付、しっくい大壁造りの洋風である。
この和洋を混淆した手法は、明治初年の教育制度の激しい変革と文明開化の気運を象徴するもので、全国に現存する明治初年の学校建築の中においても様式の特異性において他に例を見ない。昭和47年8月に解体修理を実施している。